日々不安

鬱々としています。

はじまりのこと

 はじまりは2009年の秋のことでした。

 部下の失敗から、仕事上で大きなトラブルを抱えていて、お客様先に毎日深夜まで詰めている状況でした。元々のシステムの抱えていた障害もあり、修正しても修正しても思う成果は上げられず、ひたすら頭を下げるばかりの日々でした。

 しかも会社の組織の都合により次から次へと上司が変わり、その都度、対応の方針も変わり、「また違うやつが来たのか」とお客様の反応も悪くなり、底の知れぬ泥沼に沈んでいくような気持ちで足掻き続けておりました。

 上司・元上司・営業・営業のボスからの指示はそれぞれ食い違い、最適と判断した対応をしても、上司たちの誰かから必ず責められるといった状況でした。

 逃げ出したいとは思いましたが、部下のひとりが足を負傷し出勤が難しくなり、また上司も腰痛が悪化してたびたび休むようになり、私自身は現場を離れることが出来なくなりました。しかし、逃げ出したいという気持ちが伝わってしまったのか、あるいは幾ら対応しても収まらないトラブルの最たる原因が私だと判断されたのか、何をどう申し上げてもお客様にほとんど口を利いてもらえなくなりました。お話ししていただけるのは、再度トラブルが発生した場合の叱責の際だけです。

 私は無能で透明人間でトラブル対応をするに相応しくない人間に成り果てました。何をやるにも良いアイデアが出ず、出来る範囲で作成した書類は上司に「この形式では駄目だ、他社ではこういう形式が好まれる」と却下され、上司の負荷を軽減すべく先んじてやった作業も、「違う形でやりたい」「もう終わった。おまえの作業は無駄」などと言われ、無為な作業を繰り返していました。

 朝・昼の食事を抜くようになったのがいつのことからかは忘れました。何を食べても味を感じなくなったのがいつからかも忘れました。

 帰宅後、深夜に車を走らせてもらって、車内で泣きわめいたり愚痴を聞かせたり、家族にはひどい迷惑をかけたなと今でも反省しています。


 病院に行こうと思ったのも、今思えば一種の逃げであったと思います。もちろん、高速道路を走行中の車から落下しようと考えたり、会社のトイレで叫んだり、一日中理由もなく落涙し続けたりといった事柄はありました。けれど、誰に指示されたわけでもなく、自ら心療内科に足を運んだのは、やっぱり仕事とトラブルの現状から逃げたかったのだろうと思います。

 幸いにも、と言ってはいけないのだと思いますが、診察してくださった医師は、抑うつ状態としてすぐに診断書を出してくださいました。

 ただ、最初に行った病院の雰囲気がいまひとつぱっとせず、続けて通院出来なそうだと思ったのと、こんなに簡単に診断されていいものなのか自分でも自信がなかったため、念のためもう一件の病院で診察を受けました。

 結果はどちらも同じでした。まずはすぐ仕事を休むこと。一ヶ月の休みが必要とのこと。その診察を聞いて、自分が何を思ったのか、ほっとしたのか納得したのか、今では思い出せません。ただ、二軒目の病院で最初に話を聞いてくださった看護師のお姉さんの柔らかい優しい声音だけは、今思い出しても涙がじわりとしてきます。

書き始める

最初に抑うつ状態と診断されてから、そろそろ4年半が経とうとしています。
その間、休職したりリハビリしたりなぜか更に悪化したりと、いろいろなことがありました。
今は復職こそしていますが、悪化と回復を少しずつ繰り返して、日々を不安なまま過ごしています。


このブログでは、最初に抑うつ状態になった経緯と、現在の状況、現在困っていることや、診断以前に発生していた問題など、現在と過去を行ったり来たりしながら考え考え書いていこうかと思っています。